田んぼの脇を流れる細い水路を見ると、水がきれいならホタルも暮らせそうに思える。しかし、水があるだけでは十分ではない。特にゲンジボタルのように幼虫期を水中で過ごすホタルには、水の中と陸の両方が必要になる。幼虫は川底で成長し、春になると岸へ上がり、湿った土の中で蛹になる。そして成虫になった後は、水辺の植物やコケを利用して産卵する。水路が完全にコンクリート化されると、この水中から陸上へつながる生活環のどこかが失われやすくなる。
ゲンジボタルの幼虫は、成虫になるまでずっと水の中にいるわけではない。十分に成長した幼虫は、春の雨が降る夜などに水から出て岸へ移動する。そこで柔らかく湿った土を探し、地中に潜って蛹室を作る。つまり、ホタルにとって岸は単なる水路の端ではない。水生生活から陸上生活へ移るための重要な場所である。
自然に近い小川なら、水際には土、砂、小石、落ち葉、コケ、草の根などが混在している。流れが緩い場所もあれば、小さな淀みもある。岸の傾斜も一定ではない。幼虫はこうした場所から水を離れ、自分に適した場所へ移動できる。
ところが農業用水路や都市部の小河川では、管理をしやすくするために底と両岸がコンクリートで固められていることがある。いわゆる三面張り水路では、水路の断面が単純になり、岸と水の境界も明確になる。垂直に近い壁が続けば、水中から湿った土へ直接移動できる場所は大幅に減る。
ただし、コンクリートの壁があれば幼虫が絶対に上れないわけではない。実際の調査では、ゲンジボタルの上陸幼虫がコンクリート護岸を移動している例も確認されている。高さ1.2m付近まで移動した個体が記録された研究もある。問題は「登れるか、登れないか」という単純な二択ではなく、水路全体に上陸、蛹化、産卵に適した場所がどれだけ残されているかである。
コンクリート化による変化は、岸だけではない。
直線的な水路では水が一定方向へ流れやすくなり、自然河川に見られる浅瀬、淀み、砂礫のたまりなどが少なくなる。底に泥や落ち葉がたまりにくくなれば、水生昆虫や巻貝などの生息環境も変わる。ゲンジボタルの幼虫はカワニナなどの淡水性巻貝を捕食するため、餌となる生物が暮らせる環境も必要だ。
水路をコンクリートで覆うことは、ホタルだけを直接排除するというより、水路の中に存在していた多様な小環境を減らすことにつながる。
この違いは、通常のコンクリート水路と環境に配慮した水路を比較した研究にも表れている。ポーラスコンクリートを使った水路では、一般的なコンクリート水路よりも多くの動植物が確認された。表面や空隙に植物が入り、底泥や砂礫が残ることで、同じ「コンクリートを使った水路」でも複数の生息場所が形成されていた。
ホタルにとって特に重要なのが、水と岸の境界を完全に切り離さないことである。
ゲンジボタルの保全を考えて整備された水路では、コンクリート一辺倒ではなく、粗朶柵や空石積みを使った事例がある。枝などを組んだ粗朶柵や、石の隙間を残した護岸では、植物やコケが生えやすい。水際から陸上へ移動できる場所も増える。
ある調査では、こうした生態系配慮区間でゲンジボタルの成虫が大きく増加し、産卵の約80%が粗朶柵で確認された。そのうち約70%ではコケが産卵床として利用されていた。幼虫も生態系配慮区間で多く確認され、研究では粗朶柵や空石積みが水際から陸上への移動を容易にしていると考えられている。
ここから分かるのは、ホタルのためには単に水路を「自然風の色」にすればよいわけではないということだ。
必要なのは構造の複雑さである。
石の隙間がある。草が水際まで伸びている。コケが生える。流れの速い場所と遅い場所がある。泥や砂礫が残る。そして幼虫が水から出たあとに潜れる湿った土が近くにある。
こうした小さな違いが、生活環の各段階をつないでいる。
岡山県の水路整備でも、ホタルなどの水生生物に適した環境が失われつつあったことから、自然石を利用した空石積み工法が採用された例がある。石を完全にモルタルで固めず隙間を残すことで、生物が利用できる場所を確保しながら護岸としての機能も維持する考え方だ。
もちろん、すべてのコンクリート水路を壊して自然河川へ戻すことは現実的ではない。
農業用水路には水を確実に送る役割がある。住宅地では洪水対策も必要になる。崩れやすい岸を補強しなければならない場所もある。
だから重要なのは、コンクリートを使うか使わないかではなく、生物が移動できる構造を残せるかどうかである。
例えば水路の一部だけでも土の岸を残す。垂直壁の途中に傾斜した上陸場所を設ける。自然石を組み合わせる。底に砂礫が残る区間を作る。水際の植物をすべて刈り取らない。岸辺に湿った土を確保する。
小さな改良でも、水中と陸上をつなぐ場所を増やすことができる。
また、水路を整備した直後にホタルが見えたからといって、保全に成功したとは限らない。
成虫が飛んでいる場所と、幼虫が一年を過ごしている場所は同じとは限らない。さらに産卵場所、上陸場所、蛹化場所も必要になる。成虫だけを数えると、その年の景観は確認できても、次の世代が同じ場所で育つ条件まで分からない。
ホタルの保全では、少なくとも一年を通した生活環を見る必要がある。
夏に成虫が光る。
雌が水辺のコケなどに卵を産む。
孵化した幼虫が水中へ入る。
水中で餌を取りながら成長する。
翌春、雨の夜に岸へ上がる。
湿った土の中で蛹になる。
そして再び成虫が現れる。
このどこか一つでも適した環境がなくなれば、その水路で次の世代が増え続けることは難しくなる。
金沢市の用水路を対象にした研究でも、ホタルが減少した要因として農薬や水田の減少とともに、河川護岸や三面張り水路の増加によるコンクリート化が関係している可能性が指摘されている。
ホタルがいる川を守るというと、きれいな水を維持することが最初に思い浮かぶ。
もちろん水質は重要だ。
しかし透明な水が流れていても、滑らかなコンクリートの底と壁だけが続き、コケも土も植物もない水路なら、ホタルに必要な環境の一部しか残っていない。
水生ホタルは「川の生き物」であると同時に、「川と陸の境界に生きる生き物」でもある。
だから水路整備では、水の流れだけを見るのではなく、その水から生き物がどこへ移動できるのかを見る必要がある。
夜に光る成虫だけを守っても、ホタルは残らない。
水底で暮らす幼虫、岸へ上がるための道、蛹になる湿った土、卵を産むコケまでつながって初めて、一つの生活環が完成する。
コンクリート水路の本当の問題は、灰色の素材そのものではない。
水と陸の間にあった小さなつながりを、効率のよい一枚の壁へ変えてしまうことにある。